HINA-MATSURI

INTERVIEW

ベース道四半世紀を語る。日向秀和

[2017.11.11]

ART-SCHOOL、ZAZEN BOYSのベーシストを経て、ストレイテナー、Nothing's Carved In Stone、FULLARMORのベーシストとなり、バンド以外にHH&MMとLOVE SESSIONと題してのセッションや他アーティストのレコーディングなどにも多数参加。中学1年生の13歳でベースを始め、20歳前後でベースを2年間ほど手にしなかったブランクを除いて、この25年はベースとともに歩みを進めてきた“ひなっち”こと日向秀和が、改めてベース道四半世紀を語る。

ベースを始めて1週間で夢中になりました

日向さんがベースを始めたのは、中学1年生でしたよね?

日向「そうです。友達とバンドを始めようとしたら、みんなはギターがよかったんですよね。当時は、ベースヒーロー的な人はいなくて、ギターは布袋(寅泰)さんをはじめヒーローがたくさんいたので、みんなギターを弾きたがるわけですよ。こんな性格なんで、“だったら、空いているベースでも弾いてみようかしら”と手にとったのがきっかけです。ギターも少しは触っていたんですけど、ベースを始めて1週間で夢中になりました」

日向さんが楽しいと思ったのはどんなところだったのですか?

日向「当時流行っているポップスが載っている教則本みたいなものを買ってやり始めて。ベースを始めてすぐにコードはだいたい覚えて、当時流行っていたBOØWYや好きだったエアロスミスを耳コピをするようになって楽しくなっていったんですよね」

耳コピって、そんなにすぐできるものなんですか?

日向「すぐできました(笑)。何ですんなりできちゃったんですかね(笑)。ずっと音楽が好きで聴いてたからかな。TAB譜を見ながら最初はコピーしていたんですけど、耳で聴いて覚えたほうが早いって思ったんですよね。1ヵ月後くらいには、エアロスミスの曲をガンガンコピーするようになって。1年後には、リズムマシーンを買ってもらって、全部ドラムを自分で起こして入れて、そのドラムに合わせて練習するようなことをしていました」

当時は、どれくらいベースを練習していたんですか?

日向「のめり込んじゃってから中学2年生くらいになると、学校もあまり行かずに1日ずっと弾いてました。いろんな楽曲のコピーをしながら、中学時代はそんな生活をしていました」

中学2年生の誕生日に買ってもらったフェンダーのプレシジョンベースは、現在も使用していますよね?

日向「今でも弾いていますね。楽器屋さんの壁に飾ってあるプレシジョンベースを見て、“コレ、カッコイイ!”と思って選びました。7万8千円だったかな。今では、すごい傷だらけですけどね。当時は尖っていたこともあり、そのベースが宙に浮くこともあったので、それゆえに傷だらけですけど(笑)」

ベースが飛んできたら、怖いですね~(笑)。

日向「ハッハッハッハッ(笑)。当たったらかなり痛いですね。いやあ、よくここまで人格が形成されました(笑)」

どこに行っても“日向はベースが上手い”って言われたかった

当時のベースヒーロー的存在の方はいらしたんですか?

日向「日本では、『ベース・マガジン』の表紙を飾るようなベーシストは、フュージョン寄りの方が多かったですね。自分的には、海外ではラリー・グラハム、トム・ハミルトン(エアロスミス)、日本では、加部正義さん(ピンククラウド)が好きでしたね」

15歳16歳で、そのベースヒーローは渋いというか、本格志向ですね(笑)。

日向「そうですね。でも、当時は“当方、プロ志向”みたいな感じではなかったです(笑)。逆にそういうのは、“ダッセェじゃん!”って思っていましたから(笑)」

とは言え、プレイヤーとしての存在感をどんどん確立されていって、高校に入学してからは、今の原点とも言える“掛け持ち”スタイルが始まるわけですね。

日向「町田(出身地)の高校生のネットワークで、人づてに“●●がギターが上手い”とか入ってくるんですよ。そこで、まず1番になりたい! どこに行っても“日向はベースが上手い”って言われたかったんで、そこは達成しました。それはそれで楽しかったですね。当時は、ミクスチャーが流行っていたこともあって、上手いことが前提だったんですよ。テクニックも持ってるし、ひたすら正しくストイックに弾けるようなスタイルが求められていたこともあって、ゲームが上手くなるようにベースに没頭していました」

プロ志向ではなかったにしろ、界隈ではトップに立ちたいという思いがあったんですね。

日向「そうなんですよ。プロにはなりたいわけじゃないけど、“すげぇ、上手い!”って言われたかったんですよね」

当時は、バンドをいくつ掛け持ちされていたのですか?

日向「4つくらいやっていましたね。同級生のバンドや先輩達と。ジャンルもバラバラで、尾崎豊やTHE BLUE HEARTSのコピーからピストルズやラモーンズのような初期パンク、ミクスチャーやレッチリやスティーヴィー・サラスのようなテクニカル志向の洋楽も、なんでもやっていましたね」

その様々なジャンルの中のどれかに心惹かれることもなく?

日向「何でもやっていましたけど、本格的にやっていくのは、洋楽的なアプローチかなと思っていました。やっていて、そっちのほうが楽しかったんですね。ヒップホップが好きだったんで、ブラックミュージックが基本になっていって、そっちに傾倒していった感じです」

そうやって、好きな音楽のジャンルも固まっていきつつも、一度ベースを置くタイミングが来るわけですね。

日向「18、19歳の頃、ハードコアなバンドをやっていたんですけど、ドラムのシゲ(現cro-magnon)がアメリカのバークリー大学に行っちゃって。残されたメンバーのあまりのハードコアさについていけなくて、自分も興味がなくなって辞めたんです。そこから、焼き鳥屋をやりつつヒップホップを聴きながらクラブで遊ぶようになって」

中学1年生から毎日ベースを触っていたのに、潔いというか・・・・・・。

日向「19歳から21歳くらいまではベースは埃をかぶっていましたね」

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HINA-MATSURI

ストレイテナー、Nothing's Carved In Stone、FULLARMOR、etcで活躍し、揺るぎないミュージシャンシップを持ち、間違いなく日本を代表するベーシストのひとりである「ひなっち」こと日向秀和のベース道四半世紀を記念しての日向秀和を中心とした音楽のMATSURI!!!